私たちのヨルダンأردنّنا
マダバ・モザイク地図:教会の床下から見つかった最古の聖地の地図
歴史・マダバ

マダバ・モザイク地図:教会の床下から見つかった最古の聖地の地図

マダバの中心にある静かな教会で、人々がひとつの床を囲んでいます。足もとに広がるのは、約1450年前に職人たちが小さな石を並べてつくった地図です。そこには魚の泳ぐ川、塩の海に浮かぶ舟、そして通りや教会まで描かれた城壁の都市が表されています。

瓦礫の下の地図

19世紀後半、キリスト教徒の家族がマダバに移り住みました。当時のマダバは、古代の町の遺跡の上に築かれた小さな村でした。家や教会を建てるたびに、ビザンツ時代の美しいモザイクの床が次々と姿を現しました。1880年代、古い教会の跡地に聖ゲオルギオスに捧げる新しいギリシャ正教会を建てていたとき、作業員たちは地名や場所を描いたらしい大きなモザイクを掘り出しました。

当初は何が見つかったのかを理解する人はほとんどおらず、建設中に一部が傷ついてしまいました。その真の重要性が認められたのは1896年から1897年にかけてのことです。研究者たちが調査に訪れ、これが6世紀につくられた聖書の地の地図であることに気づいたのです。発見の知らせはたちまち世界中に広まり、小さな町には訪問者や研究者が訪れるようになりました。

地図に描かれているもの

この地図は紀元560年から565年ごろにつくられ、かつては教会の床のはるかに広い範囲を覆っていました。東を上にして、祭壇の方角に向けて描かれています。残された部分だけでも、生き生きとした描写にあふれています。ヨルダン川は死海へと流れ下り、川の魚たちは塩辛い水から逃げるように泳いでいるように見えます。死海には2艘の舟が浮かび、ヤシの木がエリコのオアシスを示しています。

もっとも有名なのはエルサレムの描写で、門や列柱の大通り、聖墳墓教会を備えた楕円形の城壁都市として描かれています。多くの場所にはギリシャ語で地名が記されており、その中にはイエスの洗礼と結びつけられるヨルダン川近くのベタバラや、死海近くの温泉も含まれています。ガゼルやライオンといった細かな描写が、場面に命を吹き込んでいます。

地図に描かれているもの
写真: Bashar Tabbah · CC BY-SA 4.0

なぜ重要なのか

マダバ地図は現存する聖地の地図の原本としてはもっとも古いもので、歴史家や考古学者、巡礼者にとってかけがえのない存在です。研究者たちが古代の遺跡を特定し、ビザンツ時代の都市の姿を理解するうえで大きな助けとなりました。たとえばエルサレムでは、のちの発掘によって、地図に描かれた大通りの位置が裏づけられています。専門家の推定では、完全な地図は自然のさまざまな色をしたテッセラと呼ばれる小さな石、およそ200万個からつくられていました。今日残っているのはその一部だけです。1965年には専門家のチームが、未来へ守り伝えるため、残された部分の洗浄と修復を行いました。

マダバで地図を見る

地図はマダバの中心にある聖ゲオルギオス教会にあります。今も礼拝が行われている場所ですので、控えめな服装で、声を落として見学しましょう。礼拝の時間を避けて訪れ、地図のまわりをゆっくり歩きながら、死海やヨルダン川、エルサレムを探してみてください。マダバはしばしば「モザイクの町」と呼ばれます。地図を見たあとは、考古学公園や、モザイクの床が残るほかの教会、若い職人たちが古来の技を学ぶ学校を訪ねることもできます。独自の有名なモザイクをもつネボ山も、車ですぐの距離です。

よくある質問

マダバ地図はどれくらい古いのですか?

マダバ地図は紀元6世紀、おそらく560年から565年のあいだにつくられました。つまり約1450年前のものです。マダバのビザンツ時代の教会の床に色とりどりの小さな石をはめ込んでつくられた、現存する聖地の地図の原本としてはもっとも古いものです。

マダバ地図はいつ発見されたのですか?

このモザイクは1880年代、マダバの古代の教会の跡地に新しいギリシャ正教会が建てられた際に掘り出されました。その重要性が十分に理解されたのは1896年から1897年にかけてで、研究者たちが調査を行い、6世紀の聖地の地図であると発表しました。

マダバ・モザイク地図はどこで見られますか?

地図は、アンマンの南西約30キロメートルにあるマダバ中心部のギリシャ正教会、聖ゲオルギオス教会にあります。礼拝の場ですので、控えめな服装で、礼拝の時間を避けて訪れましょう。マダバには近くにほかにも多くのモザイクがあり、ネボ山も車ですぐです。