私たちのヨルダンأردنّنا
歴史と遺産
一万年にわたる人類の物語

歴史と遺産

ヨルダンほど狭い範囲に、これほど多くの人類史の層が重なる場所はそう多くありません。農民、商人、王、修道士、カリフ、巡礼者たちが皆、その谷や高原に足跡を残してきました。ここでは、最初の村から現代の王国まで、主な文明を順にたどります。

最初の村々

ヨルダンの地には石器時代から人々が暮らしてきました。初期の狩猟採集民がつくった道具が、東部砂漠や、アズラクのオアシス周辺を含む古代の湖岸で見つかっています。その後の新石器時代になると、人々は農耕や家畜の飼育を始め、定住のための家を建てるようになりました。アンマンのアイン・ガザルやペトラ近くのベイダなどの村は、この地域の重要な初期集落に数えられます。

アイン・ガザルでは、考古学者たちが約9000年前にさかのぼる、石灰漆喰でつくられた見事な人物像を発見しました。大きく彩色された目をもつこれらの像は、世界で知られている大型の人物彫刻として最古級のものです。その一部は現在、アンマンのヨルダン博物館で見ることができ、収蔵品の中でも特に人気を集めています。

最初の村々
写真: Berthold Werner · CC BY 3.0
紀元前7200〜5000年頃

アイン・ガザルと最初の農民

現在のアンマンの外れにあるアイン・ガザルには、この地域で最大級の新石器時代の村が栄えました。人々は農耕を営み、ヤギを飼い、漆喰の床をもつ家を建てていました。彼らは石灰漆喰で人物像もつくっており、それらは世界で見つかった大型の人物彫刻として最古級に位置づけられています。

紀元前4500〜3600年頃

銅石器時代の集落

銅石器時代(金石併用時代)には、テレイラト・ガッスールなどヨルダン渓谷の村々で農耕と初期の金属加工が発達しました。この遺跡は、幾何学模様や人物を描いた色鮮やかな壁画で知られています。南部ではフェイナン地域が重要な銅の産地となり、何世紀にもわたって採掘と精錬が行われました。

紀元前3600〜1200年頃

青銅器時代の町

青銅器時代には、ペラやアンマン城塞など、ヨルダン渓谷や高原に城壁で囲まれた町が現れました。死海近くのバーブ・エッ・ドゥラーのような大規模な墓地は、この地域にどれほど多くの人々が暮らしていたかを物語っています。交易によって、これらの町はエジプト、シリア、メソポタミアと結ばれていました。

紀元前1200〜550年頃

アンモン、モアブ、エドム

台地には三つの王国が発展しました。アンマン周辺のアンモン、ディーバーンとカラク周辺の中部台地のモアブ、そしてブサイラ周辺の南部高原のエドムです。ディーバーンで見つかったモアブ王メシャの有名な玄武岩の碑文は、この地域で発見された鉄器時代の文書として最も長いもののひとつです。

紀元前4世紀頃〜紀元106年

ナバテア人とペトラ

アラブの民ナバテア人は、アラビアと地中海の間の乳香と香辛料の交易によって富を築きました。彼らの都ペトラは、砂岩の断崖に直接彫り込まれた建造物と、水を集めて蓄える高度な仕組みを備え、古代世界の大都市のひとつとなりました。紀元106年、その王国はローマ帝国の一部となりました。

紀元前1世紀〜紀元4世紀

ローマ都市とデカポリス

ローマ支配下で、ゲラサ(ジェラシュ)、ガダラ(ウンム・カイス)、ペラ、フィラデルフィア(アンマン)などの都市が繁栄しました。これらの都市は、古代の王の道のルートをたどるトラヤヌス新道(ウィア・ノウァ・トライアナ)などの道路で結ばれていました。この時代の劇場、神殿、凱旋門、石畳の通りは今も目にすることができます。

紀元4〜7世紀

ビザンツ時代の教会とモザイク

キリスト教が広まるにつれ、各地の共同体が教会を建て、その多くが植物、動物、日々の暮らし、都市を描いた精緻なモザイクの床で飾られました。マダバはこの芸術で特に有名になりました。6世紀のマダバ地図、ネボ山、ジェラシュやウンム・アッ・ラサスの教会に、傑出した作品が残されています。

紀元661〜750年

ウマイヤ朝の砂漠の城

ウマイヤ朝のカリフたちは、東部砂漠に一連の邸宅や広間を建てました。見事な壁画をもつ小さな浴場クサイル・アムラは、ユネスコの世界遺産に登録されています。カスル・ハラナ、カスル・アル・ハッラーバート、アンマン城塞の宮殿も、この時代を代表する建物です。

紀元750年〜1100年代

アッバース朝とファーティマ朝の時代

750年以降、イスラム世界の中心は東のバグダードへ移りました。ヨルダン南部のフマイマは、アッバース家が権力を握る前に暮らした地として知られています。ヨルダンの町々は農業と交易の中心地として続き、イスラム教徒とキリスト教徒の多くの共同体が隣り合って暮らしました。

紀元12〜16世紀

アイユーブ朝とマムルーク朝の城

アジュルン城は1180年代にアイユーブ朝のもとで築かれ、12世紀に建設が始まったカラクとショウバクの丘の上の巨大な城も、この時代に拡張されました。マムルーク朝は隊商宿、モスク、駅逓所を加えました。ヨルダン渓谷では砂糖が生産され、道路がカイロ、ダマスカス、そしてアラビアの聖都を結んでいました。

1516〜1918年

オスマン時代とヒジャーズ鉄道

オスマン時代には、メッカへ向かう毎年の巡礼キャラバンが、砦や給水所に支えられながらヨルダンを横断しました。19世紀後半には、チェルケス人とチェチェン人の家族がアンマンなどの町に定住しました。1900年から1908年にかけて、アンマンとマアーンを経由してダマスカスからメディナまでヒジャーズ鉄道が建設されました。

1921年

トランスヨルダン首長国

1921年、アブドゥッラー・ビン・アル・フセイン首長を統治者とするトランスヨルダン首長国が成立しました。当時は小さな町だったアンマンが首都に選ばれました。その後の数年間で、最初の政府機関や学校、ささやかな道路網が整備されました。

1946年5月25日

独立

1946年5月25日、国は独立王国となり、アブドゥッラー首長は国王アブドゥッラー1世となりました。その数年後、ヨルダン・ハシェミット王国という国名が使われるようになりました。この日は毎年、国民の祝日である独立記念日として祝われています。

1950年代〜現在

近代国家の建設

独立以来、ヨルダンは道路、港、空港、学校、医療サービスを拡充してきました。全国に大学が開かれ、識字率は高い水準に達しました。観光はペトラ、ワディ・ラム、死海、アカバを中心に成長し、新しい博物館や保護区が国の遺産と自然景観を守る助けとなっています。

古代王国と交易の民

鉄器時代には、ヨルダン渓谷の東の台地に三つの地元の王国が生まれました。北部には、現在のアンマンにあたるラバト・アンモンを都とするアンモン、中部にはディーバーンとカラク周辺のモアブ、そして南部にはブサイラを中心とするエドムです。これらの王国は農地と交易路を支配し、碑文や土器、城壁に囲まれた町を残しており、考古学者たちは今も研究を続けています。

その後、交易と水利技術に長けたアラブの民ナバテア人が、この地域一帯に強力なネットワークを築きました。彼らの都ペトラは、乳香や香辛料などの品々を運ぶキャラバンが集まる場所となりました。彼らはバラ色の断崖に巨大な墓や神殿を彫り込み、水路や貯水槽を築いて、乾燥した土地で大都市が繁栄できるようにしました。

古代王国と交易の民
写真: Gerd Eichmann · CC BY-SA 4.0

ギリシャ・ローマ・ビザンツの都市

アレクサンドロス大王の時代以降、この地域の各地でギリシャ風の都市が建設されたり改名されたりし、ラバト・アンモンはフィラデルフィアとなりました。ローマ支配下では、これらの都市のいくつかが「十の都市」を意味するデカポリスと呼ばれるゆるやかな連合に属しました。ジェラシュ(ゲラサ)、ウンム・カイス(ガダラ)、ペラ、アンマンは、列柱通り、劇場、神殿、浴場を備えて繁栄し、その多くが今も残っています。

ビザンツ時代にはキリスト教が広く普及し、多くの教会が建てられ、しばしば精緻な床モザイクで飾られました。マダバ、ネボ山、ウンム・アッ・ラサス、ジェラシュには、その最も優れた作品のいくつかが残されています。6世紀の床モザイクである有名なマダバ地図は、この地域の都市や風景を描いており、この種の地図としては現存する最古のもののひとつです。

イスラムの時代

7世紀以降、この地域は初期イスラム世界の一部となりました。近くのダマスカスを拠点としたウマイヤ朝のカリフのもとで、東部砂漠に優美な建物がいくつも建てられました。彩色された壁をもつクサイル・アムラ、カスル・ハラナ、カスル・アル・ハッラーバートなどの砂漠の城は、住居や集会所、旅の途中の宿駅として使われました。ウマイヤ朝はアンマン城塞にも宮殿を築きました。

その後の数世紀、アイユーブ朝とマムルーク朝のもとで、アジュルン、カラク、ショウバクの丘の上の城が街道や巡礼路を守り、隊商宿や物見の塔が遠く離れた都市を結びました。16世紀からのオスマン帝国時代には、メッカへの巡礼路がヨルダンを通り、砦や給水所の連なりがそれを支えました。20世紀初めには、そのルートの大部分に沿ってヒジャーズ鉄道が建設されました。

現代の王国

1921年、アブドゥッラー・ビン・アル・フセイン首長を元首とし、アンマンを首都とするトランスヨルダン首長国が成立しました。1946年5月25日に国は独立王国となり、その数年後に国名はヨルダン・ハシェミット王国となりました。今も国家の基礎をなす憲法は1952年に制定されました。

その後の数十年間で、国は道路、空港、学校、病院、そして1962年のヨルダン大学を皮切りに大学を整備しました。教育が広く行き渡り、アンマンは小さな町から大きな近代的首都へと成長しました。観光はペトラ、死海、ワディ・ラム、アカバを中心に発展し、新しい博物館や保護区、遺産プロジェクトが、ヨルダンの過去を世界中の訪問者と分かち合う助けとなっています。